カテゴリー別アーカイブ: essay

マックス・クリンガー

 マックス・クリンガー(Max Klinger, 1857−1920)の名前を知ったのはずいぶん前で、一度まとめてその作品を見たいと思っている作家の一人だった。ドイツの美術館で彫刻を何点か見たか、エッチングを数枚みただけで、彼の作品は断片的にしか見たことがなかった。今回、国立西洋美術館で、彼の作品のうち「イヴと未来」「ある生涯」「ある愛」をまとめて見ることができた。これも一部でしかないのだけれど、それでも満足している。
 作品はどれも1880年代から90年代にかけてのものだった。一瞥して、19世紀末のドイツ語圏知識人のメンタリティを代弁しているという印象をもった。とくに「イヴと未来」の作品は、楽園を追放されるまでのアダムとイヴの物語に、暗い未来の予兆が交互に差し挟まれるもので、当時の人間が共有したであろう根源的な不安が描写されていたように思う。まだ楽園にいたときのイヴも、無邪気な眼差しをもってはおらず、どこか沈んだ不安げな表情をして佇んでいる。
 「ある生涯」と「ある愛」もまた、19世紀末の女性が置かれた根本的に不安定な状態を写し取っている。どちらもブルジョワ社会の欺瞞や救いの無力さを描いていて、女たちに無意味に近い生を余儀なくさせた社会への痛烈な皮肉という観点が見出せる。ただ、騙されて娼婦になった女が、黒い翼をもった虚無の天使に抱えられて生命を終える最後の一葉などを見ると、社会批判的な側面だけでなく、やはり、生の無意味さや虚無感を寄り添わせた暗い情念が垣間見える。
 ニーチェの「神は死んだ」という宣告が衝撃力をもって受け止められた時代の精神とは、こういうものではないかという気がした。
(02.jun.2005)

中島敦『南洋通信』

 中島敦『南洋通信』を読む。
 中島が1941年に南洋庁の官吏として赴任したパラオから、おもに妻にあてた手紙。ハイビスカスやバナナやパパイヤやレモンやジャスミンが実る自然、波もたたず真青に透き通った海に泳ぐ熱帯魚の姿、そして島民たちの素朴な生活といった、南洋の美しくも気だるい風景を写し取りながら、文面には強い望郷の念、残してきた妻と幼子への思い、本土での四季折々の生活に対する追憶、そして遠いところに来てしまったことへの後悔の念がにじみでている。
 戦前の日本政府がとった大東亜共栄圏という、今のわたしたちにとってはあまりになじみの薄くなってしまった政策がなお意味をもっていた時代に、中島が植民地の宗主国側の人間として南洋に赴いていたという事実に軽いショックを覚える。あらためてこうした書簡類を読むと、彼について抱いていたイメージの修正をうながされるようなかんじだ。日本政府の南洋政策の無意味さを指摘する箇所が散見できて、これはこれで非常に興味深く思った。
 もともと好きな作家だけど手紙を読んだのははじめてだ。おかしな話だけど、読んでいくうちに、まるで自分がその文章を書きつづっているような不思議な感覚になった。読んだことはない文章のはずなのに、すでに読んだことがあるような感覚。自分の感覚にひどく馴染む文体なのだろう。おこがましくはあるが、もし自分が彼の立場に置かれたとしたら、きっと同じようなことを感じ同じようなことを考えるのでないかと、そんな気がした。
(04.dez.2004)

表現主義

 サントリーミュージアムに「ドイツ表現主義の芸術」を観にいく。「カリガリ博士」と「吸血鬼ノスフェラトゥ」も上映されるので、これは絶対観たかった。「カリガリ」はすでに何度かみていたけど、ムルナウの映画は初めてなので、すごく楽しみだった。映画のコメントはまた別にまわします。
 さて、展覧会ではドイツ20世紀初頭から第一次世界大戦前後に現れた芸術運動ということで「表現主義Expressionismus」が取り上げられ、「ブリュッケ」「青騎士」「都市の絵画」と三点に分けて展示がなされていた。表現主義といわれても、どのあたりの芸術運動をどこまでそう呼んでいいのか、これまでよく分からなかったのだが、今回は分かりやすく整理してくれていたので、収穫ある展覧会だったように思う。
 まずおもしろかったのは、表現主義の表現が1913年頃には様式の点では頂点に達していたということ。造形芸術から始まって、文学・演劇・舞踏・舞台美術に広がり、最後に映画・建築と波及していったらしい。「カリガリ」や「ノスフェラトゥ」といった表現主義的映画の最高峰は、他のジャンルからすると、10年前後遅れて頂点を迎えたことになる。
 ドレスデンからベルリンに移動するなかで展開された「ブリュッケ」には、キルヒナー、シュミット=ロットルフ、ペヒシュタイン、ミュラー、それからノルデ、ロルフスの諸作品が収められている。ミュンヒェンを中心にした「青騎士」には、カンディンスキー、マルクを筆頭に、ヤウレンスキー、ミュンター、ヴェレフキン、マッケ、モーグナーの諸作品。それぞれの作品の共通項を見つけることは難しいけれど、公分母としては、描く対象を通して、自己の内面と向き合う側面が強いといえるだろう。もっといえば、「生」そのものという根源的なるもののがどこかに在ると考えられていて、芸術表現によってそれを探求するのだという意志がひしひしと伝わってくる。
 根源的な「生」を求めていく背景には、当然、近代人、近代社会、近代的文化の在り方全てに対するプロテストがあるわけで、20世紀初頭のドイツの精神状況をよく現しているのだと思う。ただ、こういう二項対立的な把握に、わたし自身が納得し共感できるかというと、少し難しい。距離をおいて眺めているかんじだ。
 一番突っ走っているのは、やはりカンディンスキーだと思う。「生」そのものは何か善いものとして描かれがちなのだけれど、カンディンスキーの抽象は、そうした価値評価すら許さないようなものがある。人間の根源というものを描いたとするならば、彼の絵にこそ、それは当てはまるのではないか。ほかに印象に残っているのは、ノルデの作品だ。生や自然の混沌としたものを描いて、色彩に惹きつけられた。
 それから、時代的な区分で分けて、第一次大戦後に展開された諸々の作品――ベックマン、グロッス、ファイニンガー、グライヒマン――が紹介されていた。ダダもこの時期にかぶってくるが、表現主義の戦後の流れは、ダダからの攻撃が終わったあとに見えてくるということらしい。「新即物主義」とカテゴライズされる流れである。戦前にはあった「生」への探求や憧景は後退し、都市の猥雑さ、社会の狂気を描く方向へと変わっていく。とはいっても、たしかにグロッスやグライヒマンはその傾向が強いけれど、ベックマンやファイニンガーはまた別の方向に進んでいるように思えた。
 絵画と作家たちの人生を通じて見えてくるのは、間接的ではあるけれど、第一次世界大戦とナチズムが与えた衝撃の大きさだ。戦死、亡命、自殺と続く作家たちの末路が、時代の重苦しさを物語っている。
 
 ともあれ、今回の展覧会は、遅くにいったせいもあるけど、空いていてゆっくり観られたので満足しています。内容的にもおもしろかったしね。
(20.jan.2003)

海水浴

 和歌山の海に遊びに行った。いちおう水着ももっていく。台風のあとのせいか、お盆をすぎたせいか、波は少し荒かった。ちょっと寂れたような海辺だったけど、人はいないし、水は澄んでいるし、天気も上々。一日ずらしてよかったと思う。
 水際で波と遊んでは、日陰で服を乾かしながら、本を読んでいた。地平線の向こうに船が現れると、本から目を離して、地平線に沿って船が移動するのをみつめていた。風がきつくて、時折顔に砂つぶてがあたるのがうっとうしかったけど、海と空しかない単純な風景のなかにいるのは、なかなかいい気分だった。
 旅館のテラスから日没を見て、夜は星空をみた。目が慣れてくると、びっくりするくらいに満点の星空だった。月が満月に近くて、光が強すぎたから、東の方向は見られなかったけど、さそり座と北斗七星と北極星は発見できた。実はさそり座をみたのははじめて。北極星を見つけられたのもはじめて。街中で育っていると、冬空はまだしも、他の季節に星を見ようなんて、あまり思わない。夜もずっと明るいしね。
 海はもう真っ暗で、波の音しか聞こえなかった。部屋にもどって、波の音を聞きながら眠りたいと思ったんだけど、防音がしっかりしすぎているのか、窓を閉めていると、ぜんぜん聞こえなかった。こどものころ泊まった旅館では、波の音を聞きながら寝入ったものなんだけど。
 海辺ってこんなに涼しいのかと感激していたら、大阪に帰ってきても涼しかった。なんだ、どこでも涼しいのか。フル稼働していたクーラーも久しぶりに休憩している。夏もおわりか。
(23.Aug.02)

美と狂気

 時折読み返したくなる本に、森茉莉の『贅沢貧乏』と『わたしの美の世界』がある。森茉莉の全集も出ていなければ、ちくま文庫が出したりもしていなかった昔、彼女の本は新潮文庫で二冊買えるだけで、あとはもっぱら古本屋で探すしかなかった。所蔵している新潮文庫の『贅沢貧乏』も『甘い蜜の部屋』も古本屋で手に入れたものだし、後者はハードカバーの初版本まで手に入れた。(別に初版マニアではないのですが、これだけは特別。)

 生活空間を自分にとって心地よいものにしたい、という欲求はわたしにも強くあって、そういう意味で森茉莉はわたしにとってバイブルだ。この延長線上で、雑誌のインテリア特集やライフスタイル提案モノは一応目を通してしまう。昨今はこの手の本がブームと化しているし、何人かのライフスタイル提案者はカリスマとなっている。
 カリスマたちの本も何冊か読んだけど、なんというか、すごく「頭のいい人たち」だなという印象を受けている。生活を合理的に設計しながら、それでいてセンスよくコーディネートする、というのがセオリーになっていて、住空間のみならず、食生活から物の考え方まで無駄がない。もしそこに「無駄」があるとしたら、それは計算した上での「遊び」という形であらわれる。
 合理性と計算された上での「余裕」に、感心はするのだけれど、正直なじめない。別にヘンなことを書いているわけでもなく、すごくまっとうで、センスもいいし、彼女たちの言葉に心酔したら、もうちょっとわたしもグレードが上がるんでは(何の?)と思うのだけど、なじめない。
 自分でも、森茉莉に多少洗脳されてしまっているのは自覚しているので大体理由はわかるのだが、要するに、カリスマたちの賢いライフスタイルには「狂気」がないのだ。森茉莉はしょっちゅう、自分が他の人からバカ扱いされていると憤慨している。それで彼女はいつも「わたしの美意識がわかんないアンタがバカなのよ」と怒っている。客観的にみたら、周りの人たちが、森茉莉の行動や思考回路にあきれかえるのはよく分かるし、周りの人は大変だったろうなあと同情することもある。でも、心の部分ではやっぱり森茉莉が羨ましい。
 ライフスタイルな人たちの美意識は、人から賞賛されこそすれ、バカにされることはないだろう。だからこそわたしは、彼女たちよりも、自分で魔法の園をつくりあげてしまった森茉莉に惹かれてしまうのだ。
(11.Jun.02)

パヴィチ『風の裏側』

 女Xと男Yが恋人同士であると仮定する。ただし、XとYの生まれた場所も時代もまったく違ったとする。XとYは生きている間に会うこともなければ、互いを知ることもない。にもかかわらず、XとYは恋人同士であるということは成り立つだろうか。
 このような設定が成り立つのはフィクションでしかないだろう。いや、たとえフィクションであったとしても、恋人同士が出会うことも互いを知ることもなく死んでしまうような話は、はたして恋愛小説といえるのだろうか。
 こんな奇妙な設定の上で書かれているのが、ミロラド・パヴィチの『風の裏側』(東京創元社)である。
 詩的謎に満ちたこの本の魅力は尽きない。なにしろこの物語には、文字通り「終わりがない」のだ。本のそれぞれの側からは別々の物語が始まり、まんなかまで来てそれぞれの話が一応の結末を迎えたとたん、本には記述されない物語が始まることになる。
 これは愛を扱った作品である。主人公の恋人たちは、古代ギリシアの悲恋物語ヘーローとレアンドロスをもとに、ヘーローは現代に生きる大学生、レアンドロスは17世紀に生きる石工に設定されている。この作品のユニークなところは、かれらの生が別々に始まり、互いを知ることなく、別々に死んで物語が終わってしまうことだ。だが作品の記述が終わっても、物語そのものは続いているという奇妙な構造をもっている。
 古代ギリシアの物語では、レアンドロスが溺れ死ぬことで二人の愛は引き裂かれる。だがパヴィチの手によって、穏やかとはいえない今生の死を迎えた二人は、かつてかれらを引き裂いた(時間の)海を超えて泳ぎ出す。二人が時空の海を超えて実際に「出会う」――出会ってしまう――のかどうかはわからない。だがヘーローは過去に、レアンドロスは未来に向けて旅立つ先に、二人の愛は再び結びつくのだと予感させる。ここに再生と希望と愛の不滅というテーマを読み取ることは可能だろう。そしてそれは、パヴィチがユーゴスラヴィア出身の作家であるということに思いを致すとき、現実の悲劇のさなかにありながらも、いやむしろそれゆえにこそ、いっそう強く不滅なるものへの希求が現れているとも考えられるのではないだろうか。
 この小説の真にユニークな点は、「語られなかったこと」のなかにこそ、愛の不滅性が「語られている」というパラドックスにある。
(Nov/01/2000)

ベンヤミンの焼き林檎

 四歳のころ、骨折のため入院していたことがある。昼食後に日課のリハビリを終えて部屋に戻ってくると、サイドテーブルの上におやつがのっている。たいがい果物かプリンのようなものだったと思う。まだ小さなこどもだったし、単調な入院生活のなかでは、おやつは楽しみの一つだった。
 そんななか、部屋にもどってきてテーブルのうえに焼き林檎を発見するときほど、失望することはなかった。病院の食事は今も昔もおいしいものではないだろうけれど、病院の焼き林檎ほどまずいものはない。こどもの舌にも受けつけられないほどまずいおやつ、というのはとても残酷な記憶だ。冷たくて、ぱさぱさして、へんな茶色に変色した焼き林檎――唯一食べ残したおやつだったと思う。
 ところが、いいイメージのない焼き林檎が、ヴァルター・ベンヤミン「1900年前後のベルリンの幼年時代」のなかの「冬の朝」(『暴力批判論』所収、岩波文庫)では、びっくりするほどおいしそうに描かれているのだ。ベンヤミンは後年貧窮の中に暮らし、ナチスの迫害にあって亡命を余儀なくされるのだが、幼年時代は裕福なユダヤ人家庭のお坊ちゃんとして成長する。そんなベンヤミンに毎朝メイドが焼き林檎を暖炉で作ってくれるのだ。彼は暖炉のなかの林檎にそっと手を伸ばしてみる。
「林檎の香りはまだほとんど変わっていないことが多い。そこでぼくは辛抱して、泡立つような芳香がしてきたなと思えるまで、待っている。この芳香は、クリスマスツリーの芳香にすら立ちまさって、冬の日の一段と深い、一段とひそやかな密室から泡立ってくるのだ。こうして暗色になった暖かな果実が、林檎が、遠く旅してきた親友のように、なじみ深いが変貌した姿で、ぼくの手に握られる。その旅は熱した暖炉の暗い国を経てきた旅であり、林檎はそこから、その日がぼくのために用意していたすべてのものの香りを、手に入れてきてくれていた。」
 いったいどんな香りなんだろう、と想像するだけでうっとりしてしまう。
プラスチックの皿にのせられた萎びた焼き林檎というわたしの記憶を、冬の朝暖炉で作られる焼き林檎というベンヤミンの記憶に刷りかえてしまいたいくらいだ。でもわたしは焼き林檎にはトラウマをもってしまっているけれど、林檎そのものは好き。箱詰めで届いた林檎の箱を開けるとき、ふわりと立ち上る芳香の記憶は、きっとベンヤミンの焼き林檎にだって負けてはいない、と思う。
(Thursday, November 23, 2000)

カルヴィーノ「菓子泥棒」

 この魅惑的なタイトルは、イタロ・カルヴィーノ『魔法の庭』(晶文社、1991年)に入っている短編につけられている名前である。原題はFurto in una pasticceria。盗みに入った三人組みはどうもケーキ屋に入ったらしく、本来の目的を忘れてひたすらお菓子を食い散らかしてしまうというお話。
 戦後まもなくの話で、お菓子なんか何年振りだろうという感激と、盗みに入った短時間しかこの「夢の楽園」にはいられないという焦燥感から、泥棒《ボウヤ》は突如、菓子との闘いに突入する。
 クリームと砂糖づけのサクランボ、ジャム入りドーナツ、メレンゲ菓子、アーモンド菓子、「燃えるろうそくからロウがたれてるみたいな」クリームケーキ、パネットーネの兵隊に、ヌガーでかためた堅固なお城、もう味なんかわからないタルトに気味の悪いチャンベッラ、スコッチケーキにブリオッシュ、一本丸ごとぱくつくプラムケーキ、サヴィオア・ビスケットにチョコレート・ビスケット、四つんばいになってケーキの上に乗っかるわ、もうたくさんなのに狂ったようにシュトルーデルやクレープを貪りつづけ、松の実入りのマカロン、カンノーロ、砂糖づけの果物とまだまだ続く、挙句の果てにやってきた警察までもがお菓子に夢中になる始末。てんやわんやの大騒動は「猿がやった」という警官たちの「証明」でおひらき。
 とまあ、とにかくマシンガンのようにお菓子が飛び出してきてとってもスラップスティックなお話なのです。オチまでスゥイートよ。
(Sunday, November 19, 2000)

キシュ『死者の百科事典』

 二〇世紀は戦争の世紀とも評される。近代以降の戦争の死者数を調べた研究によると、死者の数は今世紀に入ってからはうなぎ上りに上がるらしい。かつての死者は主に軍人だったけれど、今世紀の戦争では民間人の死が膨大に膨れ上がったためである。
 死者を数字で記されると、なにかとてつもない事が起こったのだと分かってはいても、数字はどこか無機質で死に対する実感をもたらさない。数字に還元されてしまうと、見えなくなってしまうことは多い。カウントされる「死」の背後にあったはずの、その数の分だけの「生」が見えなくなる。
 ユーゴスラビアの作家ダニロ・キシュの「死者の百科事典」(『死者の百科事典』所収、東京創元社、1999年)は、語り手がある晩スウェーデンの王立図書館で「死者の百科事典」なるものをひも解き、そこに描かれた彼女の父の生涯を読むという話である。
 「死者の百科事典」という謎めいた代物は、「他のいかなる百科事典にもその名前が出ていない」死者を項目に載せた事典とされる。その事典の目的は「人間世界の不公正を正して神の創造物すべてに永遠の世界に等しい場所を与え」ること。物語は、その条件に該当する語り手の父の生涯を細かく辿っていくことで進む。父はどこで生まれどこで育ち、何を見何を感じ、誰を愛し誰に怒り、そしてどんな死を迎えたか――読む者に折々の情景が浮かび上がってくるような細やかさで、一人の人間の人生がそこに克明に鮮やかに記されている。
 語り手は父の項目を読み終わって次のようにいう。
「ひとつひとつの人生、ひとつひとつの苦悩、ひとつひとつの人間としての継続を、記録し価値付ける人たちがまだこの世にいるのだという証拠をもっていたかったのです」と。
 個々人の生はかくも多彩であり、一つの色に染め上げることなどけっしてできはしない。世界中の無名の死者たちの生涯を記録した「死者の百科事典」とは、人々の生を平板化しひたすら数に還元してきた、そしてこれからも還元していくであろうこの時代に対する、キシュの静かなる抵抗といえるのではないだろうか。

節分

 また今年も節分祭の季節がやってきた。
 別に豆まきをするわけでもないが、近所のお寺が厄除けさんなので、この期間だけは寺町みたいになる。昨日が雨で出足が悪かったせいか、日曜日の今日は朝から近所がざわざわしていた。
 昼を過ぎるごろには、家の真横の電柱につけられたスピーカーがひっきりなしに、迷子の案内・警察からの注意・盗難や落し物の注意を流し出す。おまけに、家の前の溝をカバーしている鉄板をみんな踏んでいくらしく、ひっきりなしにガタガタなる。とにかく、うるさい。うるさいから鉄板を外しにいってやろうと、玄関の扉をがらっとあけたとたん、あっけにとられてしまった。家の前に、参拝客がすし詰状態で並んでいるのだ。いっせいに参拝客の目がこっちに向くので、慌てて扉をしめた。
 どうも、新しく開通した道路に警察が誘導しているらしく、去年までとは参拝ルートが変わって、うちの前をとおるようになっているらしい。しかも、境内で入場規制をかけているから、人の流れが止まっているのよ。鉄板外すどころじゃなくて、仕方なく、家のなかで爆音で音楽かけて、外のうるさい音から気をそらした。
 しかし、買い物にもいかないと、晩ごはんがない。覚悟をきめて、外にでて、行列のなかに身を投じた。帰ってくるときも、人ごみと一緒に流れてこないと家にたどりつけなかった。こんなんあり? 玄関で鍵をがちゃがちゃやっているのが、すごく恥ずかしかったよー。
 屋台、いっぱいでていた。ひやかし半分で見てまわった。なんか、白い蛇を見世物にしている屋台があって、そこは人だかりができていた。厄除けまんじゅうの店はどこもかしこもよく売れている様子。和菓子屋さんの厄除けまんじゅうが売れるのはいいけど、普段は八百屋なのに、このときだけまんじゅう屋になる店にまで行列つくっているのは、ちょっとどうかと。
 節分といえば、巻寿司の丸かぶりがお約束なので、巻寿司を買う。これって関西だけの風習らしいですねぇ。俗に「寿司屋の陰謀」といわれているけど、最近聞いたニューバージョンは、実は「海苔屋の陰謀」、というものだった。真実はいずこに? そのうち、「かんぴょう屋の陰謀」とか「みつば屋の陰謀」とかでてくるんじゃないだろうね?
(03.feb.02)