カテゴリー別アーカイブ: book

四方山メモ

 誕生日プレゼントにiPodnanoをもらった。さすがに容量がでかい。そして薄い。色もきれい(グリーンでした)。曲も一杯入るし、podcastも携帯できるし、便利だー。
いくつかメモ。
 映画はなつかしの『バロン』をみた。やっぱりおもしろいよコレ。話の内容かなり忘れていたから妙に新鮮だった。忘れないうちにコメント書きたい。
 マンガは、榛野なな恵 『papa told me』。この人のマンガ買うときって、何かマンガが読みたい→本屋さんに行く→知らない作家ばかりで何を買えばいいのかよく分からない→とりあえずハズレがないから榛野なな恵買っとこう、というパターンが多い。しかも自分が何巻もっているか分からなくなっているし、表紙をみてもどれもこれも同じようにみえるから、買うのもけっこう賭けになってしまっている。
 小説は、川上弘美の『いとしい』を読む。おもしろかった。この人の文体はけっこう好き。作品に漂うエロティシズムは曇りガラスを通して見るようなものだけれど、濃密かつ滑稽な空気に包まれながら読めるのが、なんともいえず心地よい。
 それからアン・ライスの『眠り姫』を読む。なんかこれすごくない? ただのSMワンダーランドじゃないかもしれない。どこまでやってくれるのか、続きが気になる。アン・ライス先生、すごすぎます、、、。ブックオフで買ったんだけど、1巻だけたくさん並んでいた。みんな思わず手放したのだろうか? 2巻目を探しにいって見つからなくて、本屋を出たときには谷崎潤一郎の『卍』を手にしていた。いや、間違ってない、よね?


夢の世界の話

ベンヤミンが語る、夢についての話。
「夢を朝食前の空腹のときに語ってはいけない」
「朝食前の空腹の者は、あたかも眠りのなかから語るように、夢を語る」(「一方通行路」〈朝食室〉より)
 朝目覚めたとき、人はまだ夢の圏内にとどまっていて、夜の世界と昼の世界の区別がついていないのだという。昼と夜の断絶は胃に食物を通すことによって起きる。昼間のリズムや法則にのっとって、見た夢を語ることはよい。けれども、まだうつつとした状態で夢を語ることは、夜の世界と昼の世界の境界を撹乱する行為となる。その余裕のない行為は、夢の世界からの復讐を招く、すなわち、自分自身を裏切ることになるのだという。
 わたしは自分の見た夢を、昼の世界の言葉で語ることはほとんどないような気がする。目覚めたときには、見ていた夢の感触に、怖かったとか楽しかったとか悲しかったという感情を反芻するのだが、どんな夢を見ていたのかは、朝食を食べるころには忘れている。なにかの夢をみたという痕跡だけが残っていて、でもどんな夢だったかを語ることはできない。だからわたしは人にも自分自身に対しても、自分の見た夢を語ることはほとんどない。
 ベンヤミンの話を踏まえるならば、夜の世界の事柄は、そのまま夜の法則に任せておいてもいいのだろう。

中原淳一の絵本

 中原淳一の『シルエット絵本』というのを、ついつい衝動買いしてしまった。「人魚姫」とか「蝶々夫人」などのおとぎ話に、中原淳一のイラストがついた絵本。ビアズレーとかアーサー・ラッカムとかラファエル前派を思い出させるような絵柄で、登場人物はシルエットだけど衣服が細かい模様で描かれている。絵を眺めているだけでもなかなか楽しい。

不思議譚2

 山田章博の『百花庭園の悲劇』と『おぼろ探偵帖』を読む。いつもながら絵の完成度はすばらしい。昔の作品ほど描き込みも少なくなって、いっそう洗練されたように思う。あとあいかわらず引用がすごい。『おぼろ』のほうは、文明開化の明治東京を舞台に心中物・化け物・百物語・怪談・浮世絵テイスト満載。泉鏡花がそのまま物語に登場してくるのもご愛嬌。
 鏡花つながりで、『婦系図』を読み始める(多分なかなか読み進まないなー)。江戸っ子弁って難しい。あと『聊斎志異』も併読。こちらは中国民間伝承の不思議譚が満載。もう普通に壁の絵のなかに人が入っていったり、幽霊と会話したりして、短編ばかりだけどおもしろい。

不思議譚

 rickie lee jonesの’it’s like this’と’the evening of my best day’、ben leeの’awake is the new sleep’のアルバムが現在のお気に入り。一時期ジャズノヴァっぽい曲ばかりかけ流していたが、最近再びロック系。rickie lee jonesにビートルズのfor no oneのカバーが入っているんだけど、カバー曲って何気にいい。
 土曜深夜にやっているアニメ「holic」がおもしろくて、つい原作大人買いをしてしまった。最近は、アニメもマンガもおもしろそうと興味がひかれても、すぐに飽きてしまって見続けられない。子どものころは続きが気になって、お稽古事から帰ってきたころに見る夕方のアニメがあんなに楽しみだったのに。一巻だけ買って続きを買わずにいるマンガもたくさんあるし。holicもちまちま読んでいたら飽きそうなのだが、半分逃避先と化していたので拍車がかかって勢い読みしてしまった。
 このマンガ自体は立派なエンタメだけど、話に不思議譚の要素がところどころ挟まっていて、その辺にどうも反応しているみたい。holic読んで思い出したのが、山田章博と内田百間。壺中天と水仙の天女の話や、蝶々が絵柄から抜け出す話、掛け軸の中から人が抜け出してくる話、紅茶に映った蝶々をそのまま飲んでしまう話etc. オカルトというわけでも怪談というほどでもないのだが、人や動物、人外のものと境が曖昧なまま、途切れるように終わる話が好きだった。百間の話に出てくる女なんて、着物を着ているから分からないけど、みんな足とか平気でなさそうだった。
 今思うと、この手の話は中国の伝説に多くの源泉があるんだろうな。荘子の胡蝶の夢なんてまさにそうだし。中島敦の中国を舞台にした奇譚も不思議な話が多いし。この手の話をもっと読みたい。

森茉莉の本

 本棚の奥から森茉莉の『甘い蜜の部屋』を引っ張りだしてくる。いつもは手軽に読める文庫を手に取るのだけれど、今回はハードカバーの初版のほう。殺伐とした日常から、せめて夜寝る前だけでも手っ取り早く別世界を堪能したい・・・そんな欲求が、森茉莉のハードカバー版に向かった。なにせ、あの美文に加えて、ハードカバー版は旧かな遣いなのだ。ああ、もうため息つくくらい別世界・・・(もはや森茉莉は癒しアイテムと化している)。
 ついでに『マリアの気紛れ書き』など引っ張り出してくると、『甘い蜜の部屋』の執筆後の話とかけっこうたくさん載っていて、これはこれでおもしろい。森茉莉はピイタア・オトゥールに思いいれが強かったけど、モイラの物語とは別に、オトゥールをモデルに小説を書きたいとか言ってる。
「私は将来、小説家としてもっと成長したら、オトゥールとオマアシャリフとをモデルにして、大人の恋物語を書きたいと思っている。男同士の実験心理学と英文学との二人の助教授の話である」とかなんとか。
 この話って書かれてないよね?? 「日曜日には僕は行かない」とは別の話だよね? 気になって眠れない・・・。

リオタール『遍歴』(memo)

「第3章 隔たり」より
科学技術の複雑化を伴う世界、それに対抗しうる潜在性を美的領域、芸術の機能にみる。読んでいると、「雲」の喩えが出てくる箇所には、重荷を下ろしたときのような自由を感じた。
「カントは『判断力批判』では想像力を提示Darstellungの能力とか力とかと呼び、表象Vorstellungの能力とか力とかとは呼んでいません。・・・現象を理解可能なものにするためには「私は考える」が必要でしたが、提示の働きはもはやこの「私は考える」を必要とはしていないと言えるでしょう。」
「こう考えることもできるでしょうか。感受性の雲が流れるなかでは、水泳したり航海したりする「私」など一切存在しないのだ、ただ触発だけが浮遊しているのだ、と。感情は誰かによって感じ取られるものでも、何か同一性に結び付いているものでもなく、一つの雲が別の雲によって「触発される」ようにするものなのです。」(63−64頁)
「抽象とミニマリズムといういわゆる近代、現代芸術の主流は、純粋な想像力によっては芸術家が必要としている形式をえることができないということにその存在理由をもっている、そのことは私の眼には明らかなのです。事物をただ単に提示することはメディアが一般化し、思考が自閉化したために不可能となり、われわれが向かい合う映像や音声はそれらが計算されたものである限りすでに思考されているので、時間と空間はもはや所与として接近されるのではなく、思考として接近されるようにある、これが崇高の美学の基本的な条件です。」
「私はこの〔ハイデッガーのいう存在の〕後退によって芸術家は新たな科学技術を用いて別の形式を探求することができるようになると主張したいと思います。」(79頁)
「崇高の美学のうちに刻み込まれた諸能力の分裂は感性における複合化、複雑化のしるしなのです。・・・芸術は・・・感じ取られ注釈されなければならないのです。これらすべての文に共通する記号体系は存在していないので、これらの文によって形成される網の目はその複雑性が増すにつれてもろいものになっていきます。われわれが思い煩うべき唯一の合意は、この異質性を、この「感覚の不一致」を、強めていくような合意だけなのです。」(81−82頁)

ドストエフスキー『二重人格』

 昨日は京都に住む友人の家で引越しパーティがあって、用事ででかけていた神戸から十三経由の大回りで京都に行った。プラットホームで電車を待っているときとか、ものすごく寒かった。出先で買ったショールがすぐに役立った。友人宅ではみんなワインやケーキを持ち寄って、大賑わいだった。半分は日付が変わる前に帰ったけど、わたしは一泊させてもらった組だった。今朝、まだ人でにぎわう前に鴨川あたりを歩いたけど、空気が冷たくて、少し冬の気配がした。
 電車に乗っている時間が昨日と今朝でずいぶんあったので、途中まで読んでいたドストエフスキーの『二重人格』(岩波文庫)を読み終えた。過剰な自意識と卑屈さに押しつぶされてドッペルゲンガー現象に悩まされる小役人ゴリャートキンが主人公。とてもドストエフスキーらしいテーマで、『地下室の手記』の主人公とよく似ている。都市に住まう孤独な人間の、薄っぺらい現実とどうしようもなく肥大してしまう自我は、今なおリアリティがありすぎるくらいだ。
 だけど、この本はどうにも読みづらかった。文体がくどいのか、ゴリャートキンの鬱々とした思考回路をたどるのがしんどいのか、、、。それでも、端々に出てくるペテルブルクという人工都市の描写はおもしろかった。
「雪、雨、それに、ペテルブルクの十一月の寒空の下に吹雪と濃霧が猛威をふるうころ現われ出る、なんと名づけてよいかもわからないありとあらゆるものが、突然それでなくても数々の不幸に押しひしがれていたゴリャートキン氏の上に一度にどっと襲いかかって、少しの情け容赦もなく息をつく暇も与えず、骨の髄にまで滲み込み、目潰しを食らわせ、前後左右から吹きぬけ、道を踏み迷わせ、わずかに残っていた意識をすら朦朧とさせるのであった。」(81頁)
 ヴェイドレの『ロシア文化の運命』という本に、ペテルブルクについて多くの人がさまざまな見方をし、時代とともにそれが変化していったこと、ペテルブルクを通してロシアの運命を見て取ろうとしたといった内容が書かれてあった。それほど多くの人が書き記すほどの都市には、良かれ悪しかれ、抗しがたい魅力があるのだろうと思う。

古本到着

アメリカのアマゾン経由で古本屋さんに注文した本がやっと届いた。忘れたころに届くのね。日本のアマゾンにも出ていたけど、送料込みでもアメリカに注文したほうが安かった。ハードカバーのすっごく分厚い本が届いてびっくり。こんなに分厚い本だったのね、、、。きっと向こうの古本屋さんの地下奥深いところの棚に埃をかぶって眠っていたんだわー。新品の本より、古本の洋書が届くと妙に心がときめくのはなぜ? できれば、ネット注文より、古本屋さんの棚から自分で見つけ出したかったけど。でもそれは砂浜で宝石を探すようなものよね。

『賭博者』

 オリヴェイラの「家宝」を見た。すばらしかった。構成が見事すぎる。見終わると、とにかくポルトガル・ワインが飲みたくなった。探してみたが、近所で手に入るのはスペインのワインだったので、それで我慢することにする。ちゃんとしたコメントはまた明日以降に書くことにする。
 ワインの酔いが醒めるまで、ドストエフスキーの『賭博者』の続きを読む。最初から異様な人間関係ゆえに引き込まれる話だったが、中盤、モスクワから「お祖母ちゃま」が登場するあたりから、スラップスティックな状況に展開して、さらにおもしろくなる。ルーレットにのめり込む賭博師の狂気が描かれる場面など、異様な熱気が充満している。主人公と彼が恋焦がれるポリーナの関係は、奇怪な心理戦を伴う主従関係で、そのあたり、とてもドストエフスキーらしい。あと、主人公は、カラマーゾフの長兄ドミトリの前身のようにも思えた。
 遅読のわたしにしては、あっというまに読み終えてしまった。