ライフ・イズ・ミラクル

life is a miracle
2004年、仏・セルビア=モンテネグロ
監督:エミール・クストリツァ
出演:スラヴコ・スティマチ
ナターシャ・ソラック
ヴク・コスティッチ


 これまで見たクストリッツァの映画(「アンダーグラウンド」と「パパは、出張中!」の二本しか見てないけど)では、とってもエネルギッシュでタダではコケない図太いオジサンが主役を張っていた。政治の裏や闇の世界にも鼻が利く泥臭い男たちが、一筋縄ではいかない現実に翻弄されていく映画だった。今回の映画の主人公はそういうタイプの男ではない。どちらかというと、一本気で我慢強く、そしてロマンチックなタイプの中年男性が主人公である。そうした人間を主人公に据えただけあって、映画の内容もクストリッツァの過剰なまでのイマジネーションが弾けたものとなっている。
 「アンダーグラウンド」で猿を連れた吃音の青年を演じていたスラヴコ・スティマチは、今回は有能な鉄道技師で、家族思いの父親ルカを演じている。1990年代初頭のボスニア・ヘルツェゴビナが舞台で、全国に鉄道を張り巡らす計画は国家分裂の危機にあってか、ずっと滞ったまま。ルカはベイオグラードに程近い山奥の駅舎に妻と息子とともに移り住み、そこで鉄道敷設の仕事に関わっている。息子ミロシュはプロのサッカー選手志望、妻はアレルギー体質のオペラ歌手。念願かなって、ミロシュはプロ選手への道が開かれることになる。でもセルビア人とクロアチア人・ムスリム人との戦争が始まり、ミロシュは徴兵、しかも捕虜になるという最悪の事態を迎える。ルカは、捕虜として捕まえられたムスリム人女性サバーハを、ミロシュとの捕虜交換員として監視することになる。そして二人は恋に落ちてしまう、というのがあらすじ。
 ユーゴ内戦を扱いながらも、一応の和平を経たあとに作られている映画だから、クストリッツァ自身の内戦への総括のようなものが随所に見られたように思う。ある将校が、「自分たちの戦いではない。誰かのための戦いだ」というセリフを吐くのが印象的だったし、西側メディアへの苛立ちも顕著だった。
 なにより、ルカが敵側の人間となったサバーハと恋に落ちてしまう設定が目をひいた。民族憎悪を煽り、民族浄化にまで至った内戦の記憶を思えば、セルビア人男性とムスリム人女性が恋に落ちるという出来事は、素朴ながらも切ないものに思えた。そしてそれは、いつかは別れるものであったとしても、「ビフォア・ザ・レイン」の恋人たちよりも幸福感に満ちた恋愛に描かれている。実際のところ、この地域の映画には、幸福感を感じさせてくれる作品はすごく少ない。現実の重さが映画のなかにも圧し掛かってこざるをえなかったのだろう。それだけに、言葉が十分に通じるわけではない二人がたどたどしく会話をする姿には、胸が温かくなる気がした。
 とにかく、今回の映画は深刻に悲劇的なものとはなっていない。ひっきりなしにクスクス笑ってしまうのだが、それは動物がたくさん出てくるところに負っているのだと思う。いつも画面に出てくる犬や猫や鶏たちが何かと予測不可能な動きをしては、人間たちの悲喜こもごもな感情を波立てる。難民化したクマが暴れているというのも笑えるし、なにより、失恋の痛手から鉄道自殺を図ろうとするロバがおかしい。最初と最後をきっちり締めてくれるのが、このロバだったりして、実はすごい大役を負っているのだ。
 今回の映画のlife is a miracleというタイトルは、人生何が起こるか分からないけど、それはそれで受け止めていこうよ、といった希望がこめられたタイトルなんだと思った。
 あと一点書いておくと、トンネルが象徴的に使われていたのがおもしろかった。生と死を分かつ分岐点のような役割、とでも言おうか。トンネルのなかで息子と友人たちが酔っ払ってロシアン・ルーレット紛いの遊びをしたり、麻薬の密売人がえげつない最期を迎えるのもトンネルのなかだった。あと、サバーハとルカが逃避行をするさいにもトンネルを越えて行くし、最後にルカが自分の居場所に戻っていくときも、ロバに乗ってトンネルのなかに消えていくという具合。トンネルは、クストリッツア流のワンダーランドに必須の道具立てというところでしょうか。
(12.sep.2005)
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