ドストエフスキー『二重人格』

 昨日は京都に住む友人の家で引越しパーティがあって、用事ででかけていた神戸から十三経由の大回りで京都に行った。プラットホームで電車を待っているときとか、ものすごく寒かった。出先で買ったショールがすぐに役立った。友人宅ではみんなワインやケーキを持ち寄って、大賑わいだった。半分は日付が変わる前に帰ったけど、わたしは一泊させてもらった組だった。今朝、まだ人でにぎわう前に鴨川あたりを歩いたけど、空気が冷たくて、少し冬の気配がした。
 電車に乗っている時間が昨日と今朝でずいぶんあったので、途中まで読んでいたドストエフスキーの『二重人格』(岩波文庫)を読み終えた。過剰な自意識と卑屈さに押しつぶされてドッペルゲンガー現象に悩まされる小役人ゴリャートキンが主人公。とてもドストエフスキーらしいテーマで、『地下室の手記』の主人公とよく似ている。都市に住まう孤独な人間の、薄っぺらい現実とどうしようもなく肥大してしまう自我は、今なおリアリティがありすぎるくらいだ。
 だけど、この本はどうにも読みづらかった。文体がくどいのか、ゴリャートキンの鬱々とした思考回路をたどるのがしんどいのか、、、。それでも、端々に出てくるペテルブルクという人工都市の描写はおもしろかった。
「雪、雨、それに、ペテルブルクの十一月の寒空の下に吹雪と濃霧が猛威をふるうころ現われ出る、なんと名づけてよいかもわからないありとあらゆるものが、突然それでなくても数々の不幸に押しひしがれていたゴリャートキン氏の上に一度にどっと襲いかかって、少しの情け容赦もなく息をつく暇も与えず、骨の髄にまで滲み込み、目潰しを食らわせ、前後左右から吹きぬけ、道を踏み迷わせ、わずかに残っていた意識をすら朦朧とさせるのであった。」(81頁)
 ヴェイドレの『ロシア文化の運命』という本に、ペテルブルクについて多くの人がさまざまな見方をし、時代とともにそれが変化していったこと、ペテルブルクを通してロシアの運命を見て取ろうとしたといった内容が書かれてあった。それほど多くの人が書き記すほどの都市には、良かれ悪しかれ、抗しがたい魅力があるのだろうと思う。