杉本博司『苔のむすまで』

 杉本博司『苔のむすまで』(2005年)を読む。副題は「time exposed」。
 あとがきに「自分が文章を書く人間である、などとは露ほどにも思ったことがなかった」とある。写真という表現をとってきた人が文章を書くと、こういうことを考えて写真を撮られてきたのだな、こういうふうに物を見、考える人なんだな、ということが伝わってきて、すごくおもしろかった。芸術的な感性と理知的なものとが同居していて、写真から伝わる雰囲気がそのまま文章にも現われている。
 日本の歴史や古典、骨董、仏教、能などの話をつなげながら、「日本的なるものJapantum」とでもいうべきものの真髄にユニバーサルな方法で迫ろうとしているという印象を受けた。その古層を写真を通じてあぶりだしていく方法が、歴史学や考古学や民俗学にも通底するようで、とても興味深い。タイトルからは「君が代」を連想するが、最後の章は昭和天皇の写真ではじまっている。20世紀の歴史もまた作者の眼差しの射程に入り込んでいる。
「私にとって、本当に美しいと思えるものは、時間に耐えてあるものである。時間、その容赦なく押し寄せてくる腐食の力、すべてを土に返そうとする意志。それに耐えて生き残った形と色。創造されたものは弱いものから順次、時間によって処刑されていく。〔……〕
 それらのあらゆる災難を生きのびながら、永遠の時間の海を渡っていくのだ。河原の石が、上流から流れ下る間に丸く美しい形になるように、時間に磨かれたものは当初持っていた媚や主張、極彩色や誇張をそぎとられ、まるで、あたかも昔からそこにそのようにあったかのような美しいものになるのである。
 しかし、その美もつかの間に過ぎない。いつか色も形も消え失せる時がくる。この世とは、あることからないことへの移り行く間だ。時おりその間で、謎解きの符牒のようにものが美しく輝くのだ。」(193−194頁)
 「時間」について語る口調の、刹那と永遠を同時に見据えたような哲学的な響きに、心惹かれるものがあった。
(2006.nov.22)