月別アーカイブ: 2005年6月

猟奇的な彼女

2001年 韓
監督 :クァク・ジェヨン
出演:チョン・ジヒョン
チャ・テヒョン


 だいぶ前に話題になった韓国ラブ・ストーリー。殺伐としたわたしの日常に潤いを、ということでlove & laughを期待したうえでの選択だった。よくも悪くもマンガっぽくて、だいぶ荒削りな作りなんだけど、勢いは感じられる作品だと思った。
 やさしいけど優柔不断という男の子が主人公のマンガって、ヒロインの「女」度数が高すぎて、ヘタすると「それは作者の妄想」域に転がることも、ままある。でもこの映画のヒロインは酒癖も口調も態度も悪くて、しかも自作の小説では常にヒーローになりたがるという、見ていてアホっぽくも小気味のいい設定だったりするので、「前半戦」はかなり楽しめた。
 でもこの暴力女っぷりが「後半戦」は控えめになってしまって(いつまでもやってられないんだろうけど)、しかも微妙にオトメチックになっていって(キャラとしてはブレてませんか?)、無難にラブトーリーの枠に収まってしまった。安心してみていられる分、興行的成功作品というかんじで、あまり記憶に残りそうにない。前半はリアリティがあっておもしろいんだけど、後半はドラマ的・マンガ的に「よくある話」なんだよね。まあ、「延長戦」のオチをすっかり忘れさせていた点は、中身がそれなりに濃ゆかったってことなのかな。
コメントはこちらまで。
(07.jul.2005)

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マックス・クリンガー

 マックス・クリンガー(1857―1920)の名前を知ったのはずいぶん前で、一度まとめてその作品を見たいと思っている作家の一人だった。ドイツの美術館で彫刻を何点か見たか、エッチングを数枚みただけで、彼の作品は断片的にしか見たことがなかった。今回、国立西洋美術館で、彼の作品のうち「イヴと未来」「ある生涯」「ある愛」をまとめて見ることができた。これも一部でしかないのだけれど、それでも満足している。
 作品はどれも1880年代から90年代にかけてのものだった。一瞥して、19世紀末のドイツ語圏知識人のメンタリティを代弁しているという印象をもった。とくに「イヴと未来」の作品は、楽園を追放されるまでのアダムとイヴの物語に、暗い未来の予兆が交互に差し挟まれるもので、当時の人間が共有したであろう根源的な不安が描写されていたように思う。まだ楽園にいたときのイヴも、無邪気な眼差しをもってはおらず、どこか沈んだ不安げな表情をして佇んでいる。
 「ある生涯」と「ある愛」もまた、19世紀末の女性が置かれた根本的に不安定な状態を写し取っている。どちらもブルジョワ社会の欺瞞や救いの無力さを描いていて、女たちに無意味に近い生を余儀なくさせた社会への痛烈な皮肉という観点が見出せる。ただ、騙されて娼婦になった女が、黒い翼をもった虚無の天使に抱えられて生命を終える最後の一葉などを見ると、社会批判的な側面だけでなく、やはり、生の無意味さや虚無感を寄り添わせた暗い情念が垣間見える。
 ニーチェの「神は死んだ」という宣告が衝撃力をもって受け止められた時代の精神とは、こういうものではないかという気がした。
(02.jun.2005)

日本昔話の教訓

 当分忙しいです・・・。午前中書いていたデータが消えてしまって、疲労が三倍です・・・。
 こういうとき決まって思い出す話が「鶴の恩返し」。あの鶴って、労働者だよなあとつくづく思う。機を織れば織るほど自分の体が消耗していって、恩返しという名でタダ働きさせられて、しかももっと織ってくれとどんどん仕事が積み上げられてさ。「絶対姿を見てはいけません」という約束していたから最後にトンズラできたけど、あの約束がなければ、死ぬまでタダ働きだったよ、あの鶴。わが身と重ね合わせて切なくなるわ。
 あの話の教訓は、はじめに「こういう場合はお仕事できません」と逃げ道を作っておけということじゃないかな・・・。
 こんなこと書いてるより、この前東京の国立西洋美術館で「マックス・クリンガー」展を見てきたのですよ(あ、メインのイベントは「ラ・トゥール」展だったけどね。まあ、こっちは人多すぎでした)。クリンガーの連作ちゃんと見たことなかったので、あれは見れてラッキーだった。忘れないうちにちゃんと文章にしておきたいのだけど、いかんせん今は鶴な状態でなんともなりませぬ。クリンガーの作品集ほしいなあ。売ってなかったんだよね。