パパは、出張中

Otac Na Sluzbenom Putu
1985年 ユーゴスラヴィア
監督:エミール・クストリツッア
出演:モレノ・デバルトリ
ミキ・マノイロヴィチ
ミリャナ・カラノヴィチ


 1950年代のユーゴスラヴィアを、6歳の少年の目を通して描いた作品。あの怪作「アンダーグラウンド」の10年前に作られた作品である。少年の目を通して、といっても、実は映像はさほど徹底してこどもの視線から描かれているわけではない。
 少年マリックの家族はしっかりものの母と映画好きの兄、寡黙な祖父、それと父で構成されている。この父が出張先から愛人と一緒に帰ってくるところから映画は始まる。父が帰宅し、一家そろっての生活がはじまったと思ったら、父は警察に連行されてしまう。父はなぜ自分が連行されるのか分からないし、母も分からない。分からないまま、父は強制労働につかされる。その間、サラエヴォに残された母は、子どもたちに向かって、パパは出張中なんだといいふくめる――。
 父が連行された理由は観客には分かるようになっている。最初の車中の場面で、父が愛人にむかって、新聞の風刺漫画をさして「やりすぎだな」とボソッと呟くシーンがある。実はこのシーンが重要な伏線となっている。 
 漫画には、「スターリンの肖像画をかけた部屋でマルクスが執筆活動をしている」という場面が描かれてある。日本にいる人間にはなかなか難しい風刺漫画なのだが、多分こんなかんじ↓。
 1950年代のユーゴスラヴィアはチトーを大統領にいだいてソ連とはちがう独自の共産主義路線をめざそうとしていた。当然、当局はソ連に対しては距離をとろうとする。で、当の漫画は、「スターリン路線ですすんでいるソ連では、あたかも『資本論』を書いた19世紀の人間であるマルクスが、ソ連を指導したスターリン(当然20世紀の人)を額縁に飾って(師と仰いで?)執筆活動していたみたいなことになっているけど、ソ連の共産主義ってこんなかんじだよね、バッカみたい!」と揶揄っていたと。これを見た父が、この新聞の論調を「やりすぎ」といってしまったわけです。
 この父は、頭のキレはよさそうなオッチャンだし、50年代のユーゴでも、マトモな感覚の人なら、多分「やりすぎ」って思ったんだろうなーと思う。
 今の日本に生きているわたしたちは、当局の息のかかった新聞の論調を批判したところで首が飛ぶことはまずないのだけれど、当時のユーゴスラヴィアではそうはいかなかった。愛人はたまたま、この父のいったセリフを当局筋の人間の前で喋ってしまう。その結果、マリックの父は、体制批判者=親スターリン派=ソ連寄りの危険人物のレッテルをはられて、強制連行・強制労働となってしまったのだった。
 強制労働の期間をすぎると今度は、地方に飛ばされてそこで体制側の人間になったかどうかチェック期間が設けられている。ここでもまたさりげなーく試験が導入されているのだが、このときは父は機転をきかして「模範解答」を答える。そして家族そろってサラエヴォにもう一度帰ってこれて、一応映画は幕を閉じる。
 この社会の何がこわいかというと、反体制派の烙印を押されてしまうと、家族もすべて巻き添えにしてあっという間に人生を転落してしまうところだ。パスワードをまちがえると、二度と扉は開かない。選択肢は非常にかぎられていて、ひかれたレールから落っこちた人間は必死になってそこに這い戻るしかない。マリックの父は、その点、エネルギッシュで生命力の強そうなしぶとそ〜なオッチャンなので、一度は失敗したけれど二度目の失敗はおかさずに、ユーゴスラヴィアの共産主義体制で生き抜く方法を直観的に悟る。
 どこにでもある一家族の日々を追いながら、密告一つで人生が翻弄される管理社会の不気味さを観る者に伝えてくる。どこかに逃げ道があるわけでもなく、当局の用意する色に染まることが、その時代・その国に生まれた者に残された「無難な選択」だったりする。
 クストリツッアの手法は、直接的に、なにかを賛美したり批判したりするわけではない。ある時代に生まれた人間の「無難な選択」を突き離した目で描く人だなと思う。「あの時代はそうするしか仕方がなかったんだ」という、よく耳にするセリフの、その「仕方なさ」を描きだしているように思う。
 あとの時代から「批判的」に「1950年代のユーゴスラヴィア」を再構成するのは、おそらく簡単なのだ。でも映画はそう単純な描き方をしてはいない。あるいは、「ひどい時代でもたくましく生きる家族」といったストーリーでもない。「仕方がなかったんだ」のこの「どうしようもなさ」をつきつめて、映画は、政治や歴史に翻弄される人間の矮小さを浮き彫りにしようとしたのかもしれない。
 唯一、最後に老人ホームに行こうとする祖父の「政治なんかくそくらえだ」という捨てゼリフと、マリックの夢遊病が、監督の主張を端的にあらわしていたように思う。マリックの夢遊病は、なんともいえず痛ましい。手から離れた風船のように、ふらふらと夜の町を徘徊する少年の姿は、父のエネルギッシュな態度も、母の一生懸命さも、管理社会のなかでも生き生きと暮らしている人間のすべてを、一瞬にして色褪せさせてしまう。
 お気楽そうな日本語タイトル(これ、原語ではなんていってるのかな??)に反して、映画の後味はかなり苦くて重い。ただ、一筋縄ではいかない「現実」を相手に、一筋縄ではいかない作品を仕上げる監督の力量は、十分賛美に値する。
(30.03.2003)


ha