歓楽通り

rue des plaisirs
2002年 仏
監督:パトリス・ルコント
出演:パトリック・ティムシット
レティシア・カスタ
ヴァンサン・エルバズ


 まだフランスに娼館なるものがあった頃、一人の娼婦の生んだ子どもが主人公のプティ=ルイ。あまりにもルコント的だわと思ったのは、プティ=ルイに将来の夢として「女の人のお世話をすること」といわせたりする点。夢叶って(?)、オジサンになった彼は相も変わらず女たちの世話にあけくれる。白粉の匂いや香水の充満する化粧部屋ではコルセットのヒモをひっぱり、あらわになった肩をたたき、客のために装う娼婦たちの準備を手伝う。また女物の下着や服を洗濯し、顔を煤だらけにして石炭を燃やす。でも彼の本当の夢は、複数の女ではなく、「たった一人の女」の世話をすること。そうして彼は、ある日娼館にやってきた少女マリオンを、自分のすべてを捧げるべき女神とみなすのである。
 プティ=ルイの愛はすべてマリオンに向けられる――ただし、性愛の側面は除いて。彼女のほうも彼の愛に応えて心から彼を愛する――ただし、これもまた性愛の側面は除いて。彼は、性愛の面において彼女を心から愛してくれる男を探す。彼女にとってそういう男が必要なように、プティ=ルイにとっても自分に欠けた部分を補ってくれる存在として、彼が必要なのである。娼婦である彼女を娼婦としてしか扱わない男など、彼女にふさわしい存在ではない。彼女はダイヤモンドの原石だし、羽化すればどんなにすばらしい女になるだろう――そう夢見ていたプティ=ルイは、彼女が自分で見つけ出してしまった運命の男ディミトリに失望させられる。ちっぽけな盗みをやってマフィアに追われている只のチンピラ。なのに、性愛の側面において彼女を愛せる男は、プティ=ルイと同じようにすっかり彼女の虜になってしまい、見事なまでにプティ=ルイの片割れになってしまうのである。こうして三人は離れられなくなってしまう。
 「たった一人の女に尽くす」というプティ=ルイの(ある意味フェティッシュな)夢も、現実の関係においては軋みをみせざるをえない。陳腐な現実に「こんなはずではないのに」と心のなかで呟きながら、それでもマリオンとディミトリから離れられずに面倒をみてしまう。やがて訪れる結末は、甘い夢を実現しようともくろんだ男の引き受けるべき罰なのだろうか。甘美な夢と陳腐な現実、そこに垣間みえるズレは可笑しくもあるし、また哀しくもある。
 ルコントの作品にはどうしても谷崎の世界を連想させられてしまう。この映画のフェティッシュ度もかなり高め。とくにマリオンをはじめ女たちの肩から背中のライン、胸元などから匂いたつような色香を見せるところは、これでもかといわんばかりの濃厚さ。映像はとてもエロティックなのに、主人公たちは不器用でとても幼い。このアンバランスさが、ルコントの持ち味だったりするかも。
(18.apr.2003)
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ka