眩暈

 はっきり覚えてはいないけど、たぶん5歳くらいのとき、じぶんは永遠にこどもであるような気がしていた。5年間生きてきてさらに5年生きるとすると、それはわたしにとっては倍の長さの年月なのに、父や母は5年生きても30数年+5年、祖母にいたっては60数年+5年にしかならないのだ。こっちは今まで生きてきた年月のまったく倍も生きるというのに、おとなにとってはほんの数年がすぎるだけというのが、なんだか不思議だった。
 5歳のわたしが10歳のわたしを想像するのは、眩暈のするようなことだった。わたしはいずれ10歳になるかもしれないけれど、今まで生きてきたのと同じ長さをさらに生きなければ10歳にならないのだと思うと、それは気が遠くなるような長さだった。一日も一つの季節も一年も、とても長かったから。
 こういう眩暈の感覚はこどものときはしょっちゅう感じていた。病気になって昼間から布団に寝かされているとき、なんとはなしに天井の木目をじっと見ている。そのうち木目模様がぐにゃりと空間をはみだしてくる。それは吐きそうになるくらい気持ち悪い感覚だった。いったんそういうことがあると、いやなくせに、やみつきになったようにその感覚を呼び戻そうとする。それで、ぼーと天井の木目をみつめて遊んだりしていた。
 10代のころにはそういう遊びはしなくなったように思う。もちろん、年月の感じ方も、こどものころのようには長くなくなった。
(Monday, January 08, 2001)