パッション

the passion of the Christ
2004年、米
監督:メル・ギブソン
出演:ジム・カヴィーゼル
モニカ・ベルッチ
マヤ・モルゲンステルン


 世界でもっとも有名な物語のひとつであるイエス・キリストの最期を扱ったもの。ストーリーは述べる必要もないだろう。まだ頭のなかが整理されていない状態のまま文章を書いているけど、かなり特異な映画だという印象を受けている。
 感想をいくつか。ひとつは、肉食文化圏の作品だなあと思ったこと。血しぶきと肉に食い込む鞭のシーンや釘の打ち込まれるシーンなどに、徹底した物質性と肉体性を感じた。殉教者の処刑場面がリアルに描かれていたりするキリスト教絵画を思い出したりしたけど、肉体に加えられる暴力の生々しさに、米・味噌・醤油で育っている人間には無理こういう描写!と少々悲鳴をあげそうになった。
 もう一点。聖書の記述を映像・服装・言語等々、細部にいたるまで再現しようとしている点や、12年の構想期間と30億円ともいう監督の私財で作られている点に、この映画を撮るためのギブソン監督の執念をひしひしと感じた。そのうえで、監督の主張を表現する映像そのものが、きわめてハリウッド的に作られていることが目をひいた。全編見せ場だらけというか、とにかくジェットコースターに乗っている気分になるほど飽きさせない作りになっている。モブシーンの熱気うずまく騒々しさに対して、イエスや弟子たちの回想、マリアたちのイエスを見つめるひたむきな眼差し、多用されるスローモーションといった静かなシーンが連続的にくりかえされる。メリハリが際立っていて、目を背けさせるほど残酷なシーンであっても目を背けることができないほどだ。Ecce Homo!がハリウッドのノウハウでもって効果的に映像化されているのだ。
 これはいったい何なんだろう、とあらためて思う。こういって誤解をまねかなければいいのだけれど、映画の主張にわたしはかなり原理主義的なものを感じた(わたし自身、教義や解釈のレベルで論じることはできないので、内容そのものよりも、この映画のもつ時代的意味に強く関心をもった)。事例として適切であるか不安だが、イスラム原理主義者たちが、金融システムやコンピュータを操ることで、テロ行為のグローバリズムともいうべき事態を展開していることを思い出した。そこには、ラディカルな宗教的価値観でもって現世秩序に徹底的に抵抗する姿勢と、最先端のテクノロジーやテクニックの融合という現象がおきている。ギブソンの映画にも、ある意味、こうした現象との類似的要素があるのではないかという気がした(あくまでも、ラディカルな宗教的価値観とテクノロジーの融合という意味に限定して)。
 ともあれこの映画には、ハリウッドのノウハウと、私財でこれを作ってしまえるような巨大な富を背景に、映画の内容そのものに解釈の余地をゆるさぬような、そういう迫力がある。「あれはこうでしかなかったのだ、追体験せよ!」と有無をいわせずに誘導されていくかんじがする。そう、まさに「追体験」なのだ(これはTDLなど、エンターテイメントに馴染んだわたしたちの身体に適合する形式だろう)。キリストの流した血と苦しみが人類の贖罪であるというテーゼを、物質的・肉体的な表現に徹することで「分からせてくれる」のだ。
 この映画は単なる「鑑賞」の対象としてすむものではないだろう。これほどキリスト教的なテーマを扱いながら、またそれゆえに日本の土壌では一般的に受容されにくいものでありながらも、エンターテイメントの枠を超えた反応を引き出してしまう点が興味深い。ここに、今の時代がどういう方向に向かいつつあるのか、介間見えるような気がするのだが…。
 ・・・あまりまとまっていないし、ニュートラルな立場などないよなと思いつつ書いてるから、どうも歯切れの悪い感想になってしまっている。自分がクリスチャンだったらこの映画をどう評価したのか分からない(この有無をいわせなさに、もしかしたら反発したかもしれない)。ただ、現代という時代のもつ特徴をこういう形で浮かび上がらせた問題作だとはいえるだろう。映画の枠組みをあっさりと越えていて、唖然とした。
(06.mai.2004)
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レス


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