ヒトラー、最後の12日間

Der Untergang
2004年、独
監督:オリバー・ヒルシュビーゲル
出演:ブルーノ・ガンツ
アレクサンドラ・マリア・ララ
コリンナ・ハルフォーフ


 第三帝国の終焉をヒトラーを中心に描いた作品。昨年ドイツで公開されて、かなりの動員数を記録したと聞いて、日本で公開されたらぜったい観にいこうと思っていた。
 1945年4月下旬、ソ連軍の砲弾を至近距離で浴びせられ、瓦礫の山と化していく陥落寸前のベルリン。被弾するつど映画館も地鳴りし、物語りが進む間も背後で爆音が響き続けることに、最初、不安な気分にさらされた。ただ、1時間も見ていくと、次第にそうした状況にも身体が慣れていくのが分かった。もちろん、映像と音声だけの体験だから、慣れといっても映画的な慣れでしかない。現実はそんなものではないのだろうと思いたいけれど、たとえ現実であったとしても、人間は異様な状態に慣れていくものかもしれない。慣れというより麻痺に近い。どれほど悲惨で醜悪で異様な事態であっても、それが長引けば、最初のショック状態からなんとか回復して、思考回路を閉ざして、生き延びるために身体は勝手に現状に適応しようとするのだろう。
 映画では、司令部にいる人間の思考回路の麻痺と状況打開不可能なまでの硬直性が描かれる。権力者の気宇壮大な妄想が決断の根拠になるため、司令部からは実行不可能な命令が下されるばかりで、指令系統は事実上崩壊している。何一つ状況は打開せず、無駄に死者の数を増やすだけという目を覆いたくなるような状況が露呈する。冷静にやるべきことをやろうとする軍人たちが出てくるにせよ、SSは赤狩りと称して民間人をリンチ殺害していくし、司令部にいる人間は乱痴気騒ぎやアルコールに浸っているし、その間も容赦なく爆弾は人間を殺していく。もはや手の施しようのない現状とおそるべき精神の荒廃状況とが、被弾音の地響きのなかで描かれる。
 この映画の「人間ヒトラーを描いた」という振れ込みも、あまり好意的に表面的に受け取るべきではないと思う(ヒトラーの「人間臭さ」なるものは、描くことがタブーだったかもしれないが、描くこと自体は難しいことではないだろう。その先に何を読み取るか、が問題だと思う)。映画界では悪の記号として、ときには戯画化された形でしかナチズムは扱われてこなかった。その点、この映画は単なる「悪の記号」ではないナチズムを描いている。何を読み取るかは人それぞれ多様であろうが、わたし自身は、滑稽で滅茶苦茶で悪夢的な状況に翻弄される個々の人間たちが、その状況のなかで思考回路も精神も麻痺させて生き延びることはできても、「目を開く」ことはいかに難しいことであるかという問いが突きつけられているように思った。
 実在の人物だという主人公の秘書ユンゲの「純粋さ」、もしくは思考回路の凍結状態はとてもリアルだ。最後に年老いたユンゲ自身がでてきて、次のように告白する。ナチスがユダヤ人に対してやったことを聞いて慄然とした、でもわたしは長い間、ヒトラーの秘書だった自分とその出来事を結び付けることができなかった、と(重要な場面だと思うのだが、「付け足し」感が強く、映画の内容とリンクしきれていないのが残念)。一人一人の人間は誠実で、忠誠心も高く、それなりの良心ももつ普通の人間で、悪魔や野獣のような存在であるわけではない。ただ、自分自身の人生の軌跡と、組織的な殺戮も含めての大量の人間の死という事実を、直接の被害者ではない大半の人間は重ね合わせることができない。自分の責任として引き受けることができない。いやむしろそれ以前に、理解できない。ユンゲのように。そしてわたし自身も含めて、大半の人間がそうなのだと思う。
 派手な作りである分衝撃的な印象はあるが、見る人によって評価が分散するだろうし、けっして分かりやすい映画ではない。骨太な作りではあるが、やりきれない思いが残る作品でもあった。
(7.aug.2005)
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