シベリアの理髪師

the barber of siberia
1999年、仏・露・伊・チェコ
監督:ニキータ・ミハルコフ
出演:ジュリア・オーモンド
オレグ・メンシコフ
アレクセイ・ペトレンコ


 1885年、ある使命を帯びてロシアにやってくるアメリカ人女性ジェーンが、森を走る汽車のなかで、士官候補生トルストイと隣り合わせる。都会的に洗練された美しい彼女に、血気に逸る純粋なトルストイは夢中になる。でも彼女はある使命を遂行するためにロシア高官に取入るという「仕事」を受け持っていたから、彼の恋心を知ってはいてもおいそれとそれを受け入れるわけにはいかない。とはいえ彼を利用できるところは利用しようとするから、手練手管に長けたなかなか食えない女性だったりする。
 ちょっと悪女的な雰囲気を漂わせる女性と純粋な青年の恋物語を基軸に、ジェーンに惚れこんでしまうトルストイの上官ラドロフ将軍との三角関係や、トルストイに恋をしている女中との三角関係など、ジャンルとしてはメロドラマに入る映画である。でもこれがなかなかよく出来ている。1885年と1905年が交互に入れかわる時間軸の使い方、アメリカからシベリアまで視点を移動させる派手な構成、オペラの題材を盛り込んだ演出など、ずいぶん贅沢な作りになっている。それらに加えて登場人物たちの会話の掛け合いや間合いの取り方もすごくおもしろくて、思わず吹き出すようなコミカルな場面もたくさんある(とくにラドロフ将軍の可愛らしさとヘンテコ・ロシア人ぶりは必見! ジェーンが笑いをかみ殺しながらも、次の瞬間にはすました顔で将軍に媚びたり、もう色っぽいというか艶っぽいというか、手玉にとるとはこういうことかという感じです)。
 でもそれ以上に個人的に新鮮だったのは、この映画が19世紀末から20世紀初頭のロマノフ王朝時代のロシアを舞台に、ロシアの風習やロシア人のぶっ飛んだ感性をふんだんに盛り込んでいるあたりだった。だいたい、ソビエト的価値観なしに帝政ロシア時代を描いた作品なんて、ほとんどないのではなかろうか? 1905年のロシア革命以前の時代だから、街中で馬車が爆破されたりとテロが横行していた様子が描かれたりもするが、それよりも士官候補生たちの寄宿生活の様子や皇帝の閲兵式の様子を描くことに力が割かれていたりする。
 士官候補生たちがやっていることといえば、舞踏会用のダンスの練習だったりオペラの練習だったり(『フィガロの結婚』がここにからんでいる)決闘騒ぎを起こしたり、しょっちゅう悪戯をしては教官に怒られて罰として掃除させられたり片足立ちさせられたりと、そんなおバカで無邪気なことばかりである。学生生活をいやというほどエンジョイしている彼らは学び遊びつつ、実はロシア帝国のエリート集団として育てられている。彼らはこの生活を通じて、生涯続く人脈となるであろう仲間意識を育て上げ、なによりロシア帝国と皇帝に対する忠誠心を養っている。映画の中盤にでてくるロシア皇帝との閲兵式の様子は圧巻で、馬で登場する皇帝とその幼い息子に尊敬と敬愛の念をこめて、彼らは大声で「ウラー!」と叫び、親衛隊である自分たちの晴れ姿を披露するのだ。貴族的なエリート教育というのは、本来こういうものだったんだろうなあと思わせられる。官僚や法曹などの専門職業集団をつくるための教育システムではなく、あくまでも上級将校や政治的エリートを作り出すような教育システムなのだ。
 この皇帝を中心とした政治システムを破壊したのが二つのロシア革命ということになるが(17年革命はまだ先だけど)、映画ではクレムリンの外部で起きている不穏さは微塵も感じられない。もちろん映画のテーマから逸れるから描かれていないのだろうけれど、それでも、皇帝および士官候補生たちも含めたその周囲の人々は、自分たちを取りまいている社会の仕組みが壊れるとはこれっぽっちも思っていなかったのだろうなと思わせられた。そういう意味でこの映画は、ロシア帝国末期の様相を皇帝寄りの立場から描いたものとしても見れるだろうし、わたしにとっても興味深い内容だった。
(15.sep. 2006)


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