四歳のころ、骨折のため入院していたことがある。昼食後に日課のリハビリを終えて部屋に戻ってくると、サイドテーブルの上におやつがのっている。たいがい果物かプリンのようなものだったと思う。まだ小さなこどもだったし、単調な入院生活のなかでは、おやつは楽しみの一つだった。
そんななか、部屋にもどってきてテーブルのうえに焼き林檎を発見するときほど、失望することはなかった。病院の食事は今も昔もおいしいものではないだろうけれど、病院の焼き林檎ほどまずいものはない。こどもの舌にも受けつけられないほどまずいおやつ、というのはとても残酷な記憶だ。冷たくて、ぱさぱさして、へんな茶色に変色した焼き林檎――唯一食べ残したおやつだったと思う。
ところが、いいイメージのない焼き林檎が、ヴァルター・ベンヤミン「1900年前後のベルリンの幼年時代」のなかの「冬の朝」(『暴力批判論』所収、岩波文庫)では、びっくりするほどおいしそうに描かれているのだ。ベンヤミンは後年貧窮の中に暮らし、ナチスの迫害にあって亡命を余儀なくされるのだが、幼年時代は裕福なユダヤ人家庭のお坊ちゃんとして成長する。そんなベンヤミンに毎朝メイドが焼き林檎を暖炉で作ってくれるのだ。彼は暖炉のなかの林檎にそっと手を伸ばしてみる。
「林檎の香りはまだほとんど変わっていないことが多い。そこでぼくは辛抱して、泡立つような芳香がしてきたなと思えるまで、待っている。この芳香は、クリスマスツリーの芳香にすら立ちまさって、冬の日の一段と深い、一段とひそやかな密室から泡立ってくるのだ。こうして暗色になった暖かな果実が、林檎が、遠く旅してきた親友のように、なじみ深いが変貌した姿で、ぼくの手に握られる。その旅は熱した暖炉の暗い国を経てきた旅であり、林檎はそこから、その日がぼくのために用意していたすべてのものの香りを、手に入れてきてくれていた。」
いったいどんな香りなんだろう、と想像するだけでうっとりしてしまう。
プラスチックの皿にのせられた萎びた焼き林檎というわたしの記憶を、冬の朝暖炉で作られる焼き林檎というベンヤミンの記憶に刷りかえてしまいたいくらいだ。でもわたしは焼き林檎にはトラウマをもってしまっているけれど、林檎そのものは好き。箱詰めで届いた林檎の箱を開けるとき、ふわりと立ち上る芳香の記憶は、きっとベンヤミンの焼き林檎にだって負けてはいない、と思う。
(Thursday, November 23, 2000)